リリイ・シュシュのライブ行ってきましたー。
つい数時間前のことなのに、家に帰り普段の生活をしてるともっと前の出来事に感じる。
余韻の残る中、自分の感じたことを書き留めておこうと思う。
タイトルの『リリイ・シュシュLIVE「エーテル」のすべて』は勢いで付けたので、ライブの全容がわかるわけではないのであしからず。
まずはライブの流れ。
仕事を終えて、中野に向かう。
開演の19:30には余裕を持って到着。
開場してから時間が経ってしまったので、映画の一場面のような列をなす状態は見れなくて残念。その時間にいたらきっと青林檎持った人を探したり、カマカツがどーのとか内心思ってる気持ち悪い人になれたりしたのに。
開演前の場内にはドビュッシーや映画「リリイ・シュシュのすべて」のサウンドトラックが流れて、待っている間の期待を膨らませる。
開演時間になり、場内の照明が落ちるとスクリーンに映像が映し出され、オープニング。通常のライブだと大抵はミュージシャンが出てくる時に、拍手や歓声があがると思うのだけど、今日のライブでは観客全員押し黙ったまま。登場と同時に1曲目。2曲目、3曲目と拍手する間も与えずに演奏を続けるリリイ・シュシュ。途中一度のMCもなく、10数曲をぶっ通しで歌い通した。その間、拍手歓声殆ど無し。通常のライブに慣れている人は座ったままで歓声もあげられず、さぞ違和感だらけだっただろう。
意外だったのは、セットリストの中にSalyuの曲が入っていたこと。リリイ・シュシュとしてライブをするのだからSalyuの曲を歌うのはどうなのだろう?疑問に思うところではある。と言いつつ、前回の記事にも書いたとおりSalyuの曲を殆ど聞いたことがないので、今歌っているのがSalyuの曲なのかリリイ名義の別曲(lilyholicに載っているdiscographyには、実際に販売されたアルバム「呼吸」にない曲が幾つもある。沈黙の木、オルゴオルなど)なのかライブ中は判断できなかったのだが。・・・ただ、曲調を聞いていると当時のリリイ・シュシュの曲とは思えず、なんとなく浮いた感じがしたのは事実だ。
セットリストは、「共鳴(空虚な石)」「愛の実験」「飛行船」「飽和」「エロティック」・・(Salyu曲)・・「アラベスク」・・(Salyu曲)・・「飛べない翼」「回復する傷」「エーテル」「グライド」END。
(2010/12/16追記:Salyu曲も含めたセットリストはこちら by @nyanchi69様)
オープニングの神秘的な導入と途中のアラベスク、飛べない翼からのエンディングは、念願のリリイ・シュシュを生で聞けて涙こそ出なかったが心から感動した。正直Salyuの曲は、特に悪いと感じたわけでもないが殆ど耳に入ってこなかった。これまで全く聞いたことがなかったからだろう。
終演後、しばらく座って余韻に浸り、人ごみの中会場から出て一人帰路についた。残念なことに(?)「リリイだー!」と叫ぶ声も聞こず、誰かが刺された様子もない。いや、よかったよかった。
さて、既にツイッター上では皆それぞれ意見があるようだが、今日のライブはリリイ・シュシュだったのか、それともSalyuだったのかという点について僕なりの考えを記そうと思う。考えというより感想に近いか。
先程も書いたようにリリイ・シュシュのライブとしてSalyuの曲を歌っている。これまでの文章から分かるかもしれないが、僕の感情としては若干、無しの方に傾いている。やはりどこかで、映画「リリイ・シュシュのすべて」のリリイ・シュシュを聞きたかったからかもしれない。リリイ・シュシュの音楽はどこか深いところに引き込まれる、そんな感覚に陥らせる。
今日のライブで“今”のリリイ・シュシュを生で聞いてたしかに若干の違和感を覚えた。それは、10年前の声であるCDの曲を聴き過ぎたからだろうか。突然の10年間の空白を埋めるのに、僕自身が若干戸惑っていた。そんな感覚。けど、リリイ・シュシュの曲を歌っているときに感じるのはほんの僅かな違和感でしかなかった。実際3~4曲目あたりでは比較的すんなり馴染むことができた。
5曲目エロティックの後、知らない曲を歌い始めた。全く知らないせいもあるだろうけど、全然心に響かない。リリイ・シュシュ風に言うならエーテルを感じ無い。歌い方も全く違うように聞こえる。リリイ・シュシュとしてはかなりの違和感。心なしかSalyuも歌いやすいように見えた。きっとこれは最近のSalyuの曲だと思った。そして殆ど耳に入らないまま時間が過ぎた。途中アラベスクに入ったときにリリイ・シュシュの世界に呼び戻され、Salyuの曲に戻ったらまた心が離れた。終盤、飛べない翼からは聴き入り、至福の時間。
そしてライブを聞き終えて感じたのは、僕の中のリリイ・シュシュ、主に映画の中のリリイ・シュシュは当時の9曲に思い出と共に宿っているのだということ。新曲「エーテル」もいい曲だとは思うが、その9曲を聞いたときに感じる何かを感じるには弱い。9年前に岩井俊二監督に惹かれて映画「リリイ・シュシュのすべて」を見た僕には、岩井俊二監督の関わった曲に当時のリリイ・シュシュを感じることができたのかもしれない。
ライブの最後に、「See you soon,not so far… 」とメッセージが出てきたことから、今夜一夜限りではなく、今後も活動をしていくのだろう。10年前のリリイ・シュシュの名残りを求めてこれからのリリイ・シュシュの新曲を聞くかもしれない。願わくは、9年前の衝撃的なまでの何かをもう一度味わえることを信じて。
最初の疑問、今日のライブはリリイだったのかSalyuだったのかについては、冷めた言い方のようだが、「リリイ・シュシュ」というユニットが演奏したライブ、と考えている。映画「リリイ・シュシュのすべて」ではなく、「リリイ・シュシュ」というバンド。リリイの曲を歌っているときは、リリイを感じることができてよかった。Salyuの曲は、名義の違う曲を歌うなんてよくあること、程度に思っておく。
なにはともあれ、リリイ・シュシュの曲をすべて生で聞けたことは本当によかった。ライブに行けたことを心から感謝する。
追伸:
Salyuの曲の時はほんと耳に入ってこなくて、ウトウトと一瞬記憶が途切れたのは内緒(笑)
これまでSalyuの曲を聞くきっかけがなかったので、今回のをきっかけに聞いてみようかなとも思う。
追伸2:
リリイ・シュシュの曲以外で、Memoryと歌っていた曲だけはなんとなく印象に残っているので聞く機会があれば聞いてみようと思う。ツイッターでの情報だと新曲とのことなので、リリイ名義かSalyu名義か分からないけど今後発表されるだろう。
コメント
こんばんは。私も本日リリイに会いに行きました。
聴く前、リリイ名義で発表されている曲がそう多いほうではないしやはりSalyu名義の曲も入るかなと打算的に思っていましたが、エロティックの後の「再生」はすばらしい選曲と静かに感激しました。というのも、名義こそSalyuですが、この曲は10年前に録音され別のCDのB面に入っている初期作品、つまり私見ですがSalyuというアーティストの中で確固たるSalyu像が打ち出されておらずリリイの余韻が残っている可能性があった時代の歌、だからです。
歌い方はここ最近でずいぶん強くまぶしい声に変わりましたが、この世に満ちているエーテルのうち、また違う色のエーテルをみつけ、歌いこなすことを試みているのかもと私は期待しています。
長くなりまして申し訳ありません。
通りすがりさんこんばんは。
あの場にいらしたのですね。同じ時同じ場所にいた方と会話できるのが嬉しく思います。
通りすがりさんのいうように、曲自体は全体的にとても素晴らしかったです。僕もリリイ、Salyu関係なく、聴き込んだ歌であれば同じように感動できたかもしれません。Salyuのdialogueは以前少しだけ聞いたことがありますが、リリイの声色の名残を感じました。
音楽は聞けば聞くほど愛着や思い入れが湧いてくると思っているので、本来ならばセットリストの内容をすべて聴き込んでいくのがベストだったのでしょうけど、今回はリリイ・シュシュを求めて行ったのでSalyuについては完全守備範囲外でした。
ややSalyuに対して批判的な文章になってしまいましたが、どちらかというと僕の勉強不足が原因なので、通りすがりさんのコメントを見て、Salyu(昔のものから最近のものまで)を聞いてみようと思います。
「また違う色のエーテル」確かにそうですね、Salyu(もしくは新生リリイ・シュシュ)の歌にエーテルを感じられるように期待してみます。ご意見ありがとうございました。